旅立ちの日に

07/12/2017

久しぶりに長距離を車で走る。

自慢のピクシスバンで中央フリーウェイ。

メーター振り切り、180kmでぶっ飛ばす!

 

嘘です。

 

どうあがいても140kmです。

しかも更に嘘つきました、すみません。

怖くて法定速度です。

しょうもない嘘ついてすみません。

 

 

 

ほろ酔い合唱部の課題曲「旅立ちの日に」男性パートを必死こいて渋滞中大声で熱唱するも歌詞を覚えてないので相棒の歌うアルトパートの一文を聞き取り懸命に文言を取り繕う。

力及ばず、ハミングとなる。

相棒からは、『ふざけるんじゃないよ!』と言われるも、真剣で自分のセンスの無さにげんなりする。

合唱とは奥深く孤独や不安が幾分、払拭される気がするのは私だけでしょうか。

 

 

雲一つ、二つの空の下、これからの「未来予想図」を思い描く。

いつものブレーキランプ5回点滅は、事故と揉め事の誘発になるのでできません。

 

我が家の末っ子長男は、自閉症スペクトラム。

そんな大層な診断結果に具体的、共通剛などなく、個は個、一人一人にそれぞれの生きづらさの問題があるのだろうと思います。

倅は知的な遅れがございます。

見通しがつきません。

人の意図する事柄への理解力が乏しいです。

来春、新入学を控える最高にイカした倅です。

 

入学に向け、相棒は学校見学に翻弄されております。

せめて文字の読み書き、計算の理解を習得してほしいとの願い。

それには詰め込み型教育の最たる日本の学習制度の中では閉じ込められてしまいそうな気がします。

 

彼の時間でゆっくりでいい。

学んでいってほしい。

 

それだけの思いで少人数制の支援学級を探しております。

 

皆と一緒に「右、倣え、右」な知識を最良とはしないのだけれども、右倣えしないといけない時は、右倣えする必要があると思うと難しい..... 。

 

物事への見通しがつくにはどうしたものか。

どのように訓練をしていけばいいのか。

 

訓練?

 

訓練って言葉が果たして妥当なのか?

広く一般、多くの方々が持ち合わせている常識というものがあるならば、そこから外れた人間は常識外、変人、協調性欠如、いう枠に収められてしまう。

 

確かにそうなのかもしれない。

それらの人間がもし自分にはできないことを理解していたとして、どうしても、それにそぐ得る表現ができなかったとしたらどうなのだろう。

 

もっと言えば、できないことをわかってほしいと思っていたら。

できるようになりたいのだけども、できないことを理解してほしいと願っていたら…。

広く一般、多くの方々が持ち合わせている常識をいうものを持ち合わせてる人が、待ってみるという選択肢を持ち合わせてくれたらまた違った世界が.....。

彼ら彼女らには広がるのかもしれない、これもUD(ユニバーサルデザイン)の形なのかもしれない。

 

でも誤解されないでください。

決して甘やかすということではなく、愛情を持って彼らと触れ合った時、きっと彼ら彼女に貴方の愛が伝わるはず、私はそう信じ願います。

キン肉マンが言っていた、上っ面の優しさという『屁の突っ張りはいらんですよ』と。

 

親として私たちは、娘は姉として、

彼のできるようになりたいけど、できないことを一緒に想い考え、できないことを一つ一つできることにするだけです。

私たちもそうすることで一つ一つできることが増えているはずです。

これから人生長い。 

改めて一緒に人間になりたいです。

 

 

いま 別れの時 飛び立とう 未来信じて〜

弾む老いた力信じて このひろい このひろい 大空に〜

 

 

男性パートが最高に良いやつだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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